Lord of the Flies 日本語のタイトルは 蠅の王 です。
この項目は、他の項目から切り離して特別に設定しました。どうしても伝えておきたいと強く思いました。 作者ウイリアム ゴールディング(1911年~1993年)は英国で活躍した人です。1954年、最初の小説としてこの本を出版しました。
あ1983年、本作品などが評価され、ノーベル文学賞を受賞しています。
あこのブログの中には Night School というタグがあります。この授業で受けた感動の一部でも伝えることができたら思い、これを書きました。このページは Night School で書いた内容と一部重複しています。
あBook review の教材は二冊あり、こちらは必須の共通教材でした。もう一冊は生徒が自分で選びます。自分で選択した本は、リポートを提出し、教室の前に出て発表します。優秀な人はシンボリズムやテーマまで発表していました。
1.ここで伝えたいこと
Lord of the Flies という本は、私に西洋文学への新しい扉を開けてくれました。テーマ(主題)について考える方法も、私が受けた日本での国語の授業と違い新鮮なショックでした。
あこの授業を受けるまでは、私は文学とは何かなどと特に考えたこともありませんでした。いってしまえば、本を読んで筋を追っていただけでした。口の悪い友人は、文字数を数えているだけなんて表現していました。単なるアホなわけですが、この授業をきっかけに、文学への新しい興味がわきました。西洋文学の優れた作品というのは、こうゆうもので、このように読むものだと、教えてくれた授業でした;(ずいぶんと昔の話ではありますが)。それにしても、当時、払った授業料はたったの10ドル。これまでの人生の中で、一番安くて一番素晴らしい買い物でした。先生は若い女性でしたが、結構厳しく教えてくれました。この先生には今でも感謝しています。
2. この本は allegorical novel だそうです
授業の最初に、先生が、この本はallegorical novel であると説明しました。日本語では寓話。イソップ物語のように比喩を通して、メッセージを伝えようとする小説の形式だということです。George Orwell の Animal Farm なども有名ですね。日本の昔話などには多くの例があります。もちろん、教訓めいた話は敬遠されるかもしれません。そんな中で本作品が、北アメリカでは、国語の教材として多く使われているのは、文学作品というものを説明しやすいからかもしれません。
まさかと思うかもしれませんが、大ヒットした映画 Jurassic Park (原作者は Michael Crichton )も allegorical novel です。これについては、多くの説明がネット上にあります。ここで、ご注意申し上げておきますが、すでに文学を研究されていたり、文学に興味がない方には、この先は単なるゴミです。
3.あらすじ(summary, plot)は他のサイトをご覧ください
この本のあらすじや解説は、 Wikipedia をはじめネット上に、日本語も英語もたくさんありますので、それらのサイトが参考になると思います。ぜひ、訪問してみてください。大雑把には、イギリスのある町の少年達が、戦争が始まったため、飛行機で疎開します。運悪くその飛行機は不時着し、少年達は近くの島に上陸します。そこから物語が始まります。救助に至るまでの、さまざまな行動を通して、作者が伝えたいテーマを中心にして、物語が展開します。
4.作品を読む前に知っておくことがら
授業のはじめに、この作品を読むにあたり、理解しておくべき一般的なことがらの説明がありました。
4.1 Protagonist プロタゴニスト
これは主人公のことで、作品の中では Ralph ラルフです。日本語の解説の中にはラーフとしているものもありますが、発音としてはラルフです。こんな名前専門の発音を検索できるサイトを紹介しておきます。このサイトによると、カリフォルニア州やアリゾナ州ではレイフというのもありだとかです。
4.2 Antagonist アンタゴニスト
これは主人公に対置する登場人物です。 pro に対して ant というわけです。本作品では Jack ジャックです。Antagonist は、作品により、必ずしも敵対する者であるとは限りませんが、蠅の王 の中では次第に敵対していきます。ジャックは、キリスト教会の choir (聖歌隊)のリーダーですが、皮肉な展開となります。
4.3 juxtaposition ジャクスタポジション
この作品は、Ralph と Jack の二つのグループに分かれて、それぞれ対比して話が描かれています。こうした物語の進め方の構造を、ジャクスタポジションというと説明がありました。似た言葉に parallelism パラレリズムがあります。日本語では併置とか並置という語があてられているようです。日本文学の作品では、構造が明確に分かる説明をしているものは少ないと思われます。もちろん、作家がこうしたことを念頭に置いて作品を書くことはあると思います。
あjuxtaposition の具体例は、蠅の王 の作品の中では、たき火をして煙を焚いて、近くを通る船に自分たちの存在を知らせ、救助を求めることを最優先する Ralph 達と、とにかくこの島で生存していくためには、食料、特に肉を求めることが最優先だとする Jack 達が対比されます。Ralph 達は自分たちが生まれ育ってきた文明社会の秩序や考え方を維持しようとするのに対し、教会の聖歌隊を中心にしたJack のグループは次第に野蛮になっていきます。この二つのグループが対比されて、物語がすすんでいきます。
4.4 Symbolism シンボリズム
作品の進行に従って、一つ一つ取り上げられます。授業中に、何が何を symbolize しているか、生徒が作品の中から探し出して答えます。
4.4.1 Conch ほら貝
conch ほら貝 は作品の中では、最初に、Ralph が漂着した子供達を集めるために、吹き鳴らして合図します。その後、子供達が集まって話し合いをする時、これを持ったものが発言できるというルールを作ります。こうしたルールが機能している間は、子供達が生まれ育った文明社会のルール、特にイギリスの場合、民主主義的な仕組みが期待できます。しかし、作品の中では、このほら貝が、破壊されてしまう場面があります。すなわち文明社会での行動やルールが破壊され、力を持ったものがすべてを制するという野蛮な体制が支配的になったことを示しています。
4.4.2 Fire 火(たき火)
Ralph は山の上でたき火をして、近くを通るかもしれない船に煙で合図を送ろうとします。この火は、文明社会のシンボルでもあります。人間が火を使えることで他の動物たちと一線を画しているように、文明の象徴としてこの作品では扱っているようです。しかし、この火も Jack 達にとっては肉を焼くためであって、ある意味、文明を示すものですが、生存に必要な度合いを超えてはいません。Jack は作品の最後近くでは、Ralph をあぶり出すために島中に火を放そうとします。しかし、皮肉なことに、この火事が英国軍の目に留まり、救出されることになります。
4.4.3 Beast けだもの
Jack のグループは、山の上には beast 獣がいると、実際に確かめることもなく信じ込み、怖がります。Simon は山の上に登った時に、落下傘部隊の兵士が死んでいるのを見て、危害を加えるような獣ではなく、死んだ兵士であることを確認します。このことをみんなに知らせるため、山を下りますが、着いたところでは、肉を食べてお祭り騒ぎの真っ最中でした。Ralph と Piggy も一緒なって騒いでいました。そこへ突然現れたSimon は獣が出てきたと間違えられ殺されてしまいます。存在しない獣を信じ込み、その恐れから人を殺してしまうという事態が起きてしまいます。人間の中には、誰にでも、そうした目に見えない恐れから野蛮さが支配的になる状況が存在しうるというテーマを作者は伝えます。(第二次世界大戦前のナチス・ドイツや当時のドイツ国民を指しているという解説もあります。)
4.4.4. The Lord of the Flies 蠅の王
棒の先にのせた豚の頭部です。Jack のグループが、獣(beast)への恐れから捧げ物として作ったものです。Simon がこれを見た時に、話しかけられたような思いになり、気を失ってしまいます。この蠅の王はすべての人間の中には邪悪な心や残忍性が存在すると話しかけます。
あこの捧げ物の周りを蠅が飛び回っています。このことから蠅の王というわけですが、これは聖書の中に出てくる Beelzebul (Beelzebub としているものもある) を表し、Devil や Satan のことで、悪の頭目として君臨し、蠅をそのメッセンジャーとして遣わすといわれています。聖書の中の一例では、列王記 II 第1章にバアルゼブブ Baalzebub、マタイによる福音書10章、マルコによる福音書3章、ルカによる福音書11章などにベルゼブルとあります。
4.4.5 その他
最後まで Ralph と行動を共にする Piggy は眼鏡をかけています。この眼鏡は知性や理性を symbolize しています。これはある意味分かりやすいシンボルです。Piggy の眼鏡は Jack 達にとり、火をおこす道具でもありました。Piggy が殺された時、眼鏡が割れますが、この島の知性や理性が失われ、文明社会の秩序が完全に失われたことを示しています。conch (ほら貝)にも似た役割がありました。・・・ただ、Piggy はイギリス下層階級が話すという cockney コックニー訛りがあります。一番知的でありながらコックニーを話すというのは、 教会の聖歌隊が野蛮になっていく Jack 達に対する、作者の意図した皮肉(または対比)なのかもしれません。
難しいのは、Ralph のグループにいた Simon が Jesus Christ イエス・キリスト的な存在として描かれているという解説が多い点です。これを説明している参考書やウェブ上の解説は多いです。しかし、なぜイエス・キリストなのかという点は、キリスト教を深く知る人にしか見えないかもしれません。このほかにもこの作品の中では、多くの symbolism が使われています。
食料を求める Jack のグループは、顔を塗ったりしてだんだん野蛮になっていきます。顔を塗ることで本来の理性が隠蔽され、たやすく野蛮になれることを示しています。このことは、防犯カメラに映る多くの犯罪者が目差し帽をかぶっていたり、大きなマスクをしていることからも分かります。顔を隠して、他人に誰だかわかなくすることで大胆になり、犯罪や悪いことがやりやすくなるからでしょう。
4.4.6 身近なシンボリズムの例
少し古い作品ですが、おくりびと という映画作品の中で石手紙として、河原の小石が親子の愛を示す物としてうまく使われていました。こうしたシンボリズムのうまい使い方も、外国で映画賞を取る一つの要素ではないかと思ったりしています。また、ブログの中では落語の桃太郎をとりあげ、この話がシンボリズムをうまく解説していると紹介しました。
あまた、平家物語 は、冒頭から「祇園精舎の鐘の声・・・」からはじまり、つづいて「沙羅双樹の花の色・・・」というように次々と挙げています。
5. Theme (主題)
最後に控えている問題は、この本の主題は何かということです。、西洋文学ではもちろん、日本文学でも、文学と位置づけられる作品には、必ず主題があるようです。主題とは作者が作品を通して、伝えたいことです。
あLord of the Flies のテーマは、人間の中には誰にでも残虐性が潜んでいることや、見えないものへの不安や恐怖心から、人間の中にある残忍性が引き出されることなどです。授業では作品を全部読み終わったところで、テーマについて discussion の時間がありました。この時ちゃんと自分の意見を言わないと、よい点はもらえませんから、生徒は皆、いろんなことを言います。
恐怖は人間の理性や判断力を狂わせてしまう。影響力の強いリーダーが現れると、人々の恐怖心をあおり、潜んでいた邪悪なものが引き出されて野蛮な方向へと導いていくことがあります。 Present fears are less than horrible imaginings.(マクベスから「目の前でくり広げられる恐怖より、頭の中に訴えてくる恐怖の方がもっと恐ろしい」)
この本のテーマは時代を超えて今も生きています。大勢の経済難民が押しよせる西欧や北欧にもともと住んでいた人たちは、自分たちの生活が脅かされると感じています。核ミサイル開発をつづける北朝鮮の情勢を利用して、問題を解決することより、国民に恐怖心を植え付けて利用する政治家や団体が出てくるかもしれません。この本を書くモチベーションとなった80年前のナチスドイツの台頭だけではなく、太平洋戦争を始めた当時の日本にも当てはまるのではないでしょうか。この本のテーマは普遍です。
6. Lord of the Flies の次は各自の選んだ本の Book Review
課題の本を四週間くらいで終了すると、当然それについての試験がありました。それとは平行して自分の選んだ本を宿題として完読して発表しました。課題のBook Review がかなりヘビーだったこともあり、自分の選んだ本は、かなりすらすら読めたことが不思議でした。テーマなどもはっきり分かり、何か新しい世界が開けたような気がしました。リポートの提出のあと、皆の前で発表しました。私が英語を学ぶ外国人だったこともあり、他の生徒には、あいつには負けたくないという刺激になったようでした。
7. 少々脱線します
7.1. 伊藤整先生に文学とは何ぞやについて聞いてみます
テーマ(主題)については、伊藤整という作家・評論家が 文学入門 という本の中で言及しています。もちろん多くの作家や評論家が各自の論点を述べていると思いますが、ここでは 文学入門 を参考にしますが、そこからの引用はしません。彼が謂わんとするところを自分流に消化した限りでは、たとえば、作者がある人の人生に感動して作品を書く場合、たとえ、実際にその人に関わることであっても、その人の金銭問題など、自分が伝えたいテーマとは関係ない不必要なものは省ていき、感動した部分を抜き出して、別の物語として表すことができるということです。作家により、文学作品というのは文体が重要だとする人もいます。
7.2 閑話休題 映画でも明確なテーマを持つ作品は多い
いわゆるアクションものの活劇的な作品やSF作品には主題よりも、話の展開や場面構成を重要視しているかも知れませんが、文芸作品としての映画は、制作者なり監督なりが伝えようとした、メッセージを持っているものが多いと思います。もちろん、表だってこれが主題だなどという作品は少ないでしょうが、作中の人物に言わせたりしていることが多いようにみうけられます。
映画も文学も、ある人の生き方に感動したからといって、単に、その人の生まれてから死ぬまでの生涯を描いたのでは、退屈なつまらない作品になってしまいがちです。映画作りや小説を書く人が主人公の人生の中で、感動した出来事や考え方、生きざまなどをテーマとして設定し、それを中心軸にして、そのことを伝えていきたいという、熱意が見る人に伝わることで、面白い作品になるのではないかと伊藤整先生はいっているような気がします。
そういえば、映画 『ジュラシックパーク』では、作者が自分の考えを登場人物に言わせていますが、さすがシュピールバーグ監督、恐竜の描写や作品があまりにすばらしく大ヒットしました。しかし、観客は allegorical な面はほとんど気にしなかったようです。2作目の『ジュラシック・ワールド』は恐竜に力点が置かれ、内容が薄かったせいか、それほど大きな評判は取らなかったように記憶しています。
7.3 閑話休題 その2 古い映画ですが 『アマデウス』
映画もテーマが何かを見抜けないと、つまらない作品としか映らないことがあるようです。例として。当たり障りのない昔の作品である Amadeus を例に挙げます。これは、アカデミー賞最優秀作品賞を獲得していますが、日本での評判は悪かったようです。モーツアルトのイメージが多くの観客とあわなかったようです。実際、当時のオーストリアの宮殿(ハップスブルグ家)では、モーツアルトは評判が悪かったようです。父親は息子 Wolfgang の才能を信じて必死に宮廷に売り込んでいましたが、マリアテレジアが受けつけなかったという話を読んだ記憶があります。当時ハップスブルグ家は、イタリア のトスカナ地方を支配していたこともあり、宮廷音楽監督にはイタリア人のサリエリが就任していました。サリエリはモーツアルトが天才であることを見抜き、宮廷での自分の地位が脅かされると感じ、モーツアルトを宮殿だけでなくウィーンからも排斥しようとします。この一方的なライバル意識の戦いが描かれています。戦いといってもモーツアルトは気にしていなかったようですが、この作品の主役はサリエリです。才能もあり、名誉ある宮廷音楽監督としての高い地位にあったサリエリにとり、モーツアルトはまさに邪魔者でした。
今、職場で課長とか部長の地位にある人や、大きなプロジェクトのリーダーとなっている人にとり、優秀な部下はどう映るのでしょうか。自分の地位が脅かされると感じ、自分を守るため、あらゆる手段をつかって、優秀な部下をおとしめたり、出世の妨げとなるようなことをするかも知れません。極端な話では亡き者にしようとしたいのかも知れません。芸能界ではライバルの俳優には、わりとあからさまに『つぶしてやる』なんていいますね。魑魅魍魎が集まる政治の世界では当たり前ですね。伏魔殿では日常茶飯のことですね。銀行や役所を舞台にした物語では定番ともいえます。
映画「アマデウス」はそんなことを見せたかったのではないでしょうか。人間の中に潜むライバルへの対応は、時代という枠を超えて存在しているようです。そうしたサリエリの苦悩を描くことにより、モーツアルトの天才としての存在がより鮮明になるのかもしれません。舞台としては「アマデウス」は時々再演されているようです。
8.最後に
こんな風に、日本では評判の悪かった作品でも、アカデミー最優秀作品賞になった理由の一片でも見えるかもしれません。蠅の王 という作品はそんなことを考えさせてくれる文学作品だとおもいます。西洋文学の中にはテーマを持った作品も多いと思います。テーマがはっきりと読み取れると、作品への興味も愛着も深くなるように思います。最後にもう一度お断りしておきます。これはあくまでも、単なる私の個人的な体験談を日記にしたまでです。賛成も反対も、議論もご意見も、「いいね」も、お願いしておりません。悪しからず。
テーマだのシンボリズムだのとうるさいことをいってきましたが、興味ある方は E. Hemingway の作品を読んでみてください。老人と海 The old man and the sea や 武器よさらば Farewell to Arms などもテーマとシンボリズムが明確に存在します。ネット上でもそれらの内容を確認できますので、ぜひ、参考にしていただきたいとおもいます。
最後の最後、一言おことわりしておきます。世の中に出回っている本の中には、日本語や英語の本もふくめ、物語の筋というか話の展開を最も重要視する作品も多く存在します。ミステリー小説は、当然、主題よりはどんなストリーの展開か、どんなトリックを用意するかが重要になります。ミステリー小説を通して現代社会の矛盾を解くというのもあるかもしれませんが、話の内容がおもしろくなければ、どんなに立派な主題を設定しても作品として評価されないかもしれません。むしろ、ミステリー小説のカテゴリーには入れてもらえないかもしれません。エロミスと分類される作品は、表現のおもしろさが最優先されるかもしれません。ですから、何が何でも Lord of the Flies が正しい文学の方向だとはいいません。出版社にとっては、売れなければただのゴミでしょうね。
蠅の王 は2度映画になっています。 YouTube で省略なく(無料で)観賞できます。
1963年 の作品 イギリス英語 白黒 ここです (日本語字幕なし)
1990年 の作品 アメリカ英語 カラー ここです (日本語字幕なし)